きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。(ヘブル4:7)
昨日の思想によって子供を縛るのは教育ではなく訓練である。…教育は訓練ではない。創造である。 (野村芳兵衛)

2012年2月28日火曜日

レヴュー “Good Will Hunting”

2012.02.27
監督:ガス・ヴァン・サント
☆☆☆☆★

大学の友人の家で映画“Good Will Hunting”を観た。もし僕が教師になるとしたら、授業中に生徒に是非とも観せたい、そんな映画。
映画はすごい。小説もすごい。絵本もすごい。最近よくそんなことを考える。僕が学びのなかでやりたいことは、映画だとか文学だとか絵本だとかが表現しているものを、学問の世界のなかで言語化していくことなのだと思う。合理性や科学的な客観知では語りえないものを、敢えて学問のフィールドで、そこでの言葉を通して紡いでいくこと。それをきっと目指している。
この映画もまた、「学問知」では掬いきれない人間の生のあり方を、飾らず、それでいて見事なまでに美しく、描いている。

セラピストのショーンは、“What do you want to do?”と、超天才・博学の問題児ウィルに問いかける。どんな議論においても大人をやり込めることが出来たウィルは、しかし、この問いへの答えに窮した。人は、外から得た知識や常識を振りかざしいくらでも「問題なく」生活することが出来る。それっぽく振る舞うことが出来る。だけど、僕らは「自分が本当は何をしたい人間なのか」こんな単純な問いに答えることが出来なかったりする。意外と自分自身のことを知らないし、無意識に知るのを避けている。
僕らは自分を知るのが恐い。他人に自分を知られるのはもっと恐い。なぜなら自分が弱くて、そこにどれほどドロドロしたものが渦巻いているか、無意識に知っているから。自分のありのままの姿なんて受け容れられないのではないかと疑い、そして始めから自分を隠して生きることを選ぶ。他者に拒絶されるリスクを冒す必要なんてないわけだから。
だから、知識や能力を盾に、あるいは常識や権威を笠に着て、自分を強く見せようとする。自分は世の中をそれなりに渡り歩いている人で、一人前の存在として、弱者などでない、と。そのようなかたちで他者から認められようとする。
僕らは弱い。どうしようもなく脆い。だからこそ、傷つけられ、失望するなかで、心を守ることを覚えていく。傷つかないで済むように自分の柔らかで脆弱な部分を武装するようになる。

僕のなかに、一つの原イメージがある。がちがちの鎧兜と剣で身を纏った兵士に対して、無防備な姿で無邪気に話しかける女の子。身を守るための鎧も、他者を斬りつけるための剣も何も持たずに、一輪の花だけを手に微笑む少女。
手にした剣で斬りつけたら一瞬で絶命してしまうであろう、そんな姿を躊躇なくさらけ出す少女を前にするとき、兵士は自分が何から身を守っているのか分からなくなるかもしれない。心を武装することで自分が見失ってしまったものを、この少女はきっと持っている。

相手に切り込まれるかもしれないという危険を冒しながらも、自分の姿を飾らずに相手にさらけ出していく、それはとても美しく勇気ある行為なのだと思う。
当初ウィルは、セラピーに通うことを拒否していた。自分の心の暗闇に触れられることが嫌だったのだろう。しかしショーンによるセラピーを通して、ウィルは少しずつ自らの内側を話すようになっていく。しかしそれは、セラピストであるショーン自身がまず自らの弱く脆い部分を分かち合うことから始まった。恐れていた通り、それを聞いたウィルは、ショーンのその「弱点」を抉り傷つけもした。しかし、関係はそこで終わらなかった。ウィルは徐々にショーンに心を開いていくようになる。
そしてウィルは自分の振り返りたくない過去を見つめ始める。生育環境で傷を負い、決して健全とは言えない育ち方をしてきたウィルに対して、ショーンは“It’s not your fault”と繰り返し繰り返し語りかけた。「自分のせいではない」ことを頭では分かってそう振る舞いつつも、そんな自分自身を実は決して認められていない、そんなウィルに代わって、ショーンは執拗なまでにこの言葉をウィルに伝える。「お前は悪くない」と。映画のなかで一番共感を覚えた名シーンだ。

ショーンがそのようにしたように、自らの弱さをまず先に分かち合うことは、結果的に「怖がらないで」のサインになるのだと思う。そのサインは、人の関係は闘いや競争や優劣の関係だけにあるんじゃないってことを、私たちに教えてくれる。
ショーンはウィルに問う「親友(soul mate)はいるか?」と。そして続けて「魂に触れるのが本当の親友だ」と言う。もしそこが傷つけられたら立ち直れない、それほど脆い自分の魂のありのままの姿をさらけ出せる相手。それを受け容れ、そこに対して偽りなく語りかけてくれる相手。そんな相手を親友と呼ぶのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿