「雪国」
桜が咲いた。
新年度。新しい仕事が始まる。
多少肌寒いことはあっても、もう春は訪れたと思っていた。
けれど初出勤の日、新幹線から続くローカル線へと乗り継いで驚かされたのは、目の前に広がる雪景色だった。
二両車両の電車がガタゴトガトゴトいくら走れど、車窓から見える雪模様は相変わらず。
おいおい、もう4月だというのに。
「トンネルを抜けると、雪国」のフレーズが頭をよぎる。東北での新しい生活が始まる。
ローカル線の車内で茨木のり子さんの詞華集(アンソロジー)『おんなのことば』を読んでいた。
大学院での大事な友人Mからもらったもの。
茨木さんの詩は、自らの心深くを探ってきた人にしか書けないものだった。一気に引き込まれていった。
そのなかの、「十二月のうた」と題される短い詩が目に留まった。以下、全文。
十二月のうた
熊はもう眠りました
栗鼠もうつらうつら
土も樹木も
大きな休息に入りました
ふっと思い出したように
声のない 子守唄
それは粉雪 ぼたん雪
師も走る
などと言って
人間だけが息つくひまなく
動きまわり
忙しさとひきかえに
大切なものを
ぽとぽとと
落としてゆきます
師走。12月。
しんしんと降り積もる雪のなか眠りにつく動物や木々の姿と、せわしく活動し続ける人間の姿との対比を描いた、詩。
とりあえずは、文意がとりにくいということはない。
目を覚まし動きまわることにではなく、むしろ一旦は深い眠りのうちに留まることのなかに、茨木さんは何かとても大事なものを見出していた。
覚醒ではなく、睡眠のうちに。
喧噪ではなく、沈黙のうちに。
光り輝くネオンではなく、一人きりの夜の闇のうちに。
世界とつながることではなく、外界から身を閉ざすことのうちに。
どうして、ときとして世界をシャットアウトすることが必要なのだろうか。
おそらくそれは、たくさんの情報や刺激で溢れかえっている世の中にあって、
気付けば人間は、流され、泳がされ、駆り立てられ、自分がどう生きたいのか本当のところを忘れてしまうからなのだろう。
今は4月。卯月。卯の花の咲く季節。
騒がしさはひとしお。
相も変わらず人間は、「息つくまもなく動きまわ」っている。
新しい生活が始まる。
忙しくないわけがない。
しかし、せっかく雪の降り積もる山奥に行くのだ。
ときに沈黙という「声のない子守唄」に耳を澄ませ、自分の心の奥底に降りて行きたい。
これまでせわしさと引き換えにぽとぽとと落としてきたものを、拾い集めに。
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