きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。(ヘブル4:7)
昨日の思想によって子供を縛るのは教育ではなく訓練である。…教育は訓練ではない。創造である。 (野村芳兵衛)

2012年5月15日火曜日

レヴュー・続「ひとりごと」


BUMPの曲「ひとりごと」について以前書いたレビューの追記。読んでない人はそちらを先にどうぞ^^


 「本当の優しさって何だろう」というようなまどろっこしい悩みは、それほど皆がするわけではないらしい。歌詞にあるように、ときに人は「頭ヘンになった」んじゃないかとか「ちょっと考え過ぎ」と言うかもしれない。だから〈ひとりごと〉として歌詞は綴られる。そうなのだ、この「ひとりごと」という曲の歌詞内容そのものが、(聴いてもらうことを目的として創られた作品であるにも関わらず!)「君」に何かを伝えることを目的としていない〈ひとりごと〉なのだ。
 なぜ「ひとりごと」なのか。この曲のタイトルは超秀逸だと思う。僕たちが友人や恋人の間で使う「好きだよ」「愛している」という言葉は、いかに本人が「本気」の想いを込めていたとしても、きっと何かしらの不純なものを含んでいる。多くの場合。相手への「愛している」というメッセージは、ときに相手にとっての重荷となり、ときに相手に何かを要求するツールとなる。僕らはそれを、意図せずして、意図してしまうのだ。無意識のうちに、「これを伝えよう」が「これを伝えることで〇〇してもらえたらいいな」になってしまっている。だからこの曲は、相手に精一杯の愛を伝えようとする曲で溢れているこの世の中にあって、あえてメッセージではない〈ひとりごと〉を歌うのである。なぜなら、優しさ=愛とは、歌われているように「君に渡そうとしたら 粉々になる」性質のものだから。
 聴いてもらうためにひとりごとを唱う藤君。なんて逆説的なんだ。自然に口から出てくるような、押し付けのないひとりごとのメロディが、この曲でいうところの優しさなんだろな。

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