きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。(ヘブル4:7)
昨日の思想によって子供を縛るのは教育ではなく訓練である。…教育は訓練ではない。創造である。 (野村芳兵衛)
2012年5月13日日曜日
昔はやんちゃでした、という話。
子どもの頃、世界は不思議で満ちていた。世界を知らなかった分、かっこ悪く不器用に、でも思うままに生きていた。中学生に上がる直前だっただろうか、一人の不良化し始めた友達を(それとは知らず)面白半分にからかったことがある。逆上した相手の子は、顔を真っ赤にさせ飛びかかってきた。僕はひどくびっくりし、目を白黒させた。ちょっとした戯れの発言だったのに。その頃の僕は、空気の読めない、無邪気な11歳だったのだ。
中学校に上がって、世界は必ずしも僕に肯定的に接してくれるわけではないことを知った。出る杭は打たれるのだ。「調子のってんじゃねぇぞ」という言葉は、子どもの心にはひどく堪える。学級内権力構造の上位に位置する一部のクラスメートとの非友好的な関係を通じて、僕は徐々に空気を読むすべを学んでいく。先生に呼び出されることも、やんちゃな子と喧嘩することも減っていった。
高校に入学してからは、「つまんない人間になったかな」とのびのびと生きていた昔を振り返ることもあった。今思うと、小学生時代は守られていたのだ。4年間担任をもっていただいた恩師には、間違いを恐れなくていいことと、自分を隠さなくていいことを日々の教育実践を通して教えていただいたのだと思う。人生の宝物だ。中学校は、地域の異なる小学校から進学してきた生徒も多かった。クラスメート同士での経験したことのない権力関係に戸惑いながら、叩かれないよう、問題を起こさないようにと、自己統制を学んでいった。それが「大人」になるということだったのだろうか。
僕は僕だ。僕にしかなれない。「昔がもっとこうだったら」と振り返ることに意味はない。そして何より僕は自分自身が嫌いじゃない。だから与えられてきた環境には感謝しかない。心からそう思える。自分の性質に嫌いなところは多々あるし、自分の行動に後悔するところはあるにしても。
ただもう一方で、中学生以降、不思議で満ちていたわくわくする世界が、ほんのりと色を失っていったように感じるのだ。決して喜びがなかったわけでもなければ、人生に絶望していたわけでもない。それは普通に楽しい日常だった。周りを気にしながら生きる生き方は、慣れてさえしまえば比較的楽な生き方なのだ。僕は世間をそつなく生きるための「社会性」を身につけていった。他の人への配慮の視点を内面化する必要性に迫られることは、遅かれ早かれ経験しなければならない通過儀礼であろう。その点肯定的に受けとめている。
大切なのは、同時にそこで失われたものもきっとあったということだ。僕は世界を、自分が自由に切り拓くものとしてではなく、自分を攻撃するものとして見るようになったのかもしれない。そこでは自らを守る姿勢が形成され、新しいものに果敢に挑み探求していく攻めの姿勢(?)は多少なりとも失われた。教育は、得られるであろうこと以上に、失われるであろうことにも目を向けなければならないだろう。「学力」「社会性」「個性」「道徳性」...それがなんだとしても、その獲得を目指して教育がなされるときに犠牲になるものは何であろうか。教育学では「子どもは無限の可能性をもっている」と言われる場合があるが、そうであれば成長し大人になるということはその可能性を限定していくことに他ならないのではないか。教師は、日に日に子どもの「無限」の可能性を切り捨て限定している。だが、可能性を切り捨てることによってしか拓かれない可能性があるのだとしたら、あるいは子どもの何かを犠牲にすることを通してしか教育が為しえないのだとしたら、教師は決してその責務から逃れることは出来ない。人の人生に関わり、その可能性に触れる、教師の責任はきっと果てしなく重い。...途方もないなぁ。
ちなみに言えば、世渡りが上手になっていった少年には、その後また転機が訪れる。が、それはまた別のお話。
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