BUMP OF
CHICKENの『COSMONAUT』収録曲「R.I.P」。お墓参りの曲。原曲こちら。
子どもの頃、世界は不思議で満ちていた。だけど、年を重ねるにつれて「当たり前のもの」が日常を埋め尽くしてゆく。たいていのことでは驚かなくなったし、真夜中の暗がりのなか幽霊に怯えることも、「謎のサーチライト」を探しにいくこともなくなった。世界は、わくわくする冒険の世界から、見慣れた日常へと変わっていく。それにともなって、生き生きとしていた日常も、宝物だった思い出も、いつのまにか追憶の彼方へと消えていく。
見えないことが今よりもあった
寂しいのは失くしたからじゃない
「寂しいのは失くしたからじゃない」と言う。それなら、なにが「寂しい」のか。寂しいのはきっと、何かを失くしたからではなく、これから何かを失くしていくことを知ったから。君との思い出も、自分にとって宝物である今も、いずれは失われる。いずれは、寂しさも感じなくなるほど、完全な喪失が訪れる。
「寂しいのは失くしたからじゃない」というのは、言い得て妙だ。確かに、本当に失くしてしまったら、もはやほとんど寂しいとも思わないだろう。たとえエピソードは覚えていても、生々しいまでのそのリアリティと感情の機微は喪失され、単なる「よい思い出」に成り下がる。ほんのりした切なさと寂しさをどこか覚えつつ、それで終わりだ。だからこそ、これから失くしていくものを大切に出来るのは、今しかない。この曲が歌っているのはこのことなのだと思う。
そこにキミがいなかったこと そこにボクがいなかったこと
こんな当然を思うだけで 今がこれほど愛しいんだよ 怖いんだよ
失われた過去は、もう二度と戻らない。今更大切にしたくても出来ないし、大切にしたいという思いすら、ほとんど湧いてこない。だってどんなに大切だったかというリアルな感情すら、もう僕は失くしてしまっているから。
だけどこの曲は、もはや失われた過去の宝物、宝物ですらなくなってしまった「元宝物」に目を向ける曲でもある。歌われているのは、決して現実に帰ってはこない過去を丁寧に埋葬し墓参りする生き方。引き連れて行けないならせめて…と、お墓の前で「安らかに眠れ Rest in Piece(R.I.P)」と語りかける歌。(ちなみに、埋葬&墓参りのモチーフは「カルマ」にも出てくる)
最近、『COSMONAUT』(宇宙飛行士)というタイトルが何故このアルバムに選ばれたのかを考えていたのだが、ピンと来るものがあった。「宇宙」はBUMPが好んで使うモチーフだが、そこは星たちの世界だ。そこは、僕らの視界の彼方に広がる世界、手を伸ばしても決して届かない世界。そして同時に、死んで星になったものたちの世界。宇宙飛行士は、僕たちが普段暮らしている安定した大地から離れ、その星々を訪れる。いや、厳密に言えば、その星の群れのほとんどは訪れることすら適わない。遠くから眺めやるだけか、いずれにせよ、宇宙服越しでは直接触れることはできない。そんな場所だ。
昔からずっと、死んだ者が星となって還っていく場所とされてきた宇宙。そのような世界を、宇宙飛行士は旅する。死の静寂があたりを包んでいることを知りつつも、生命のない世界に命へのヒントを見出そうとするかのように。もう決して直接触れることの出来ない失われたものと、それでもなお接触を試みるかのような。
だから、BUMPにとっての『COSMONAUT』とはきっと、(少なくとも一面において)墓参りする人達への呼び名なのだ。星となった思い出、もう取り戻せない過去になった記憶を、それでもなお思い出し、「安らかに眠れ」と語りかける。「R.I.P」はもちろんのこと、代表曲「魔法の料理」「宇宙飛行士への手紙」もまた、そんなお墓参りの歌なのだと思う。そしてそれは、過去が過ぎ去ったものとしてもう取り戻せなくなったことを知るからこそ、現在を心から大切にできる、そんな可能性を歌っている曲なのだ。
今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
それが未来の今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから
(「宇宙飛行士への手紙」)