7/4、代々木の体育館で行われたBUMP OF CHICKENのGOLD GLIDER TOURに、妹と参戦して参りました。
炎天下長時間並び、最前列(!)を確保。
オープニングムービーから「三ツ星カルテット」→「宇宙飛行士への手紙」という流れで会場の空気は既に最高潮。
その後観客の集中力も途切れることなく、三時間の長丁場のライブはあっという間に幕を閉じた。素晴らしいライブだった。
特に印象に残ったのは、曲の合間のMC。
BUMPのメンバーは、「気分悪くなっている人いない?」ということをよく観客に訊いてくる(ライブは、人が押し合いへし合いしているなかで三時間も立ちっぱなしの状態なので、体調悪くなる人も当然出てくる)。
そして、「周り見渡して、調子悪そうな人がいたら助けてあげて」、「きつくなったら遠慮なく周りの人に手をかしてもらって」と続ける。
観客同士の繋がりを呼びかけるこうした言葉が、MCの度に繰り返し語られるのを聞きながら、僕はちょっとした衝撃を受けた。
僕は、僕個人としてBUMPを聴くために代々木に行ったのだ。他の観客もそうだ。
その意味で、名も知らぬ他人は、ライブ参加者にとってジャガイモかカボチャも同然なのである。
特別なきっかけがあって仲良くでもならない限り、関わろうとすら思っていない。
そんな僕たちに、気遣いあうようにとBUMPは呼びかける。
それは本当に彼ららしいMCなのだと思った。
BUMPの楽曲は、僕らが単にその音楽を娯楽の対象とすることを差し止める。
自分が楽しむためにBUMPの曲を聴いていたはずのリスナーは、歌詞の内容が自分と関係ない世界の話でもなければ、単なるエンターテイメントでもないことに気付く。
聴き手は、歌詞で歌われている「僕」と「君」の姿が、まむで自分自身と自分にとっての誰かのことのように聞こえてくる。
そこでは、歌われている世界と自分の世界が繋がる。
歌われている曲を、娯楽の対象として消費することで満足してしまう僕たちがいる。
愛を歌った曲を聴いて「優しい気持ちになった」と満足して終わってしまう僕たちがいる。
だけどBUMPは、曲の役割をそれだけで終わらせたくないと思っている。
彼らのライブのMCで表されていたのは、曲を自分のために楽しむことを目的として会場に来た観客を、現に今隣にいる他者を気遣う姿勢へと招こうとする彼らの姿であった。
それは、曲から滲み出ている彼らのスタンスそのものだ。
曲を自己満足的に消費することを超えて、現実の僕たちの生活のなかで、歌われていることが生きて意味をもつこと、そこにこそBUMP OF CHICKENが僕たちに曲を届ける理由があるように思う。